京アニ火災について



※個人の考えです。ただの思考開示ブログです。



結論から言ってしまえば、令和元年7月18日に起こった事態の大きさと比較して「あまり心が動かなかった」という話になります。
勘違いして欲しくないのは、犯罪行為の容認であるとか特定文化の否定ではないという点です。一般的で常識のある人間としての側面はもちろん持ち合わせていると自負しているし、犯人には極刑が相応しいと考えています。


自分語りをします。
私の母親は現在癌細胞に蝕まれています。一度大掛かりな摘出手術を執り行い、その後肺への転移が確認、現在は投薬治療中ですが完治の希望はほぼ無く、5年以内生存率という言葉まで出され、息子として絶望を感じずにはいられません。
普段は心配性なのに、自分のことになると途端に我慢強くなる性格が災いして、発見された時には既に緊急手術を求められました。
手術の前日、1人で見舞いに病院へ足を運びました。そこでも気丈に振る舞い家の心配ばかりをする母親に「大丈夫、なんとかやってる。でも早く帰ってきて」と繰り返し、帰宅するために病院を後にして車に乗り込んだ瞬間、私は、涙が止まらなくなっていました。
家族を無くすかもしれないという事実に、現実感が無かったのです。その希薄さが、一気に失われた。

目の前が霞んで何も考えられなくなり、涙を零しながら「嫌だ」と連呼しました。

私が人間としてまともである証明に上記のことを使うのは些かクズの思考回路な気はしますが……。
それなりにまともではあると自己を再確認して、話を戻します。
火災については本当に「共感」が難しかった。当該アニメーション会社の作品はもちろん幾つも視聴していて、一つの作品で人生最大級の大泣きをした事もあります。
そのうえで、何故か、「希薄」であったということです。


自分はこの件に自分でも不思議な程に希薄であるため、事件で衝撃を受け、悲しみに暮れ、憤る大多数の方々に対しての共感が非常に難しいです。

渦巻く様々な感情への理解はもちろん出来て、紡がれる怨嗟や嘆きに対してもそれが自然だと感じるのですが、自分の中にその感情が湧いてこない。

私としても、何故?と感じます。言語化が出来ないくらいに感情が動いていかない。無に近い。本当に何故かわからない。このような大事件に感情が動かない自分への虚無感すらある。

自分一人がクズに感じるので、この件に関してはこれ以上の発言はしないよう心がけます。

京都アニメーション様の早期回復を願っております。
亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りします。